Dec 01, 2010
就職塾に向いている人は、
皆さんは就職塾という塾があることを知ってでしょうか?不況でなかなか仕事がないご時世ので、これらの学校は繁栄しているようですが、必ずこの学園に通っているからといって内定確実であるスヌンオプヌンようです。就職塾に向いているタイプは、意欲はあるが、熱意が伝わっていない方や実績は、経験あるのに自分をアピールするのが苦手な人。のようなところでしょうか?懐かしいですね。私も就職塾にお世話にしました。若い頃、と自分に変な自信を持ってたりして。しかし、実際に就職してみると、まったく問題でしょう。そこで就職塾に頼るのですが、とにかくスタートだけ。自分が正しいと思っていたことが、どんなに間違っていることを知りました。しかし、そのおかげで一流企業に就職することができた。
阪神大震災から16年を迎えた17日、県庁を中心に今年度の防災訓練の集大成となる「地震対策オペレーション」(大規模図上訓練)が実施された。自治体や関係機関から約5400人が参加し、午前は東海地震が突発的に発生したとの想定で、午後は東海地震予知情報(警戒宣言)発令後に地震が起きたとの想定で行われた。「突発型」と「予知型」の訓練を同時に行うのは初めて。
今回は、情報の共有化▽人命救助を中心に発生後72時間の体制整備▽県民への適切な情報発信−を重点項目とした。特に情報の共有化を最重視。これまで2班構成だった災害対策本部の役割分担を見直して、1班に集約。このグループが被害情報をまとめ、一括して情報を処理できるようにした。加えて、道路の被害状況やヘリを活用して上空から偵察した各地の被害状況を地図情報とリンクさせる初の試みも行った。
午後には、県災害対策本部の指令部のみで予知型訓練を実施した。県の岩田孝仁危機報道監は「警戒宣言が発令されれば、自衛隊が県内入りするなど一定の配備はできている。防災要員には頭の切り替えが必要」と、これまであまり行わなかった予知型訓練の必要性を強調。具体的には「まず警戒宣言発令時の混乱を抑える必要がある。地震発生後は、人命救助が最低限になる分、復旧に目を向ける必要が出てくる。事前配備の部隊が的確に動いているかチェックすることも必要」と違いを説明した。
川勝平太知事はこの訓練を情報共有の観点から、「携帯電話を使って県民から情報を集める仕組みはある程度整った」と評価。一方で今後の課題には「携帯電話を使って県民に情報を発信し、県民と情報を共有する」ことを挙げた。
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大阪市は17日、「東南海・南海地震」を想定した震災総合訓練を実施し、市内の各所で津波の到来に備える防潮鉄扉の閉鎖訓練や負傷者の救出訓練、府との情報伝達訓練などを繰り広げた。
平松邦夫市長はこの日朝、港区海岸通の天保山西岸壁に設置された防潮鉄扉を閉鎖する港湾局の訓練を視察。さらに此花区北港緑地の舞洲訓練場では消防局などによるけが人の救出救護訓練を視察した。
その後、平松市長は消防ヘリに乗り込み北区中之島の市役所屋上ヘリポートに移動。府や堺市と合同の地震災害対策訓練に参加し、インターネット会議で橋下徹知事に市内の被災状況などを報告した。
■悲しみや心の傷、消えない人いること忘れないで
1146人が亡くなった西宮市でも17日、犠牲者の鎮魂と震災の語り継ぎなどが行われた。
犠牲者の名前を刻んだ碑を設置した西宮震災記念碑公園(同市奥畑)には記帳所が設置され、市民ら約180人が午前5時46分、静かに黙祷(もくとう)をささげた。
同市は平成17年を最後に献花をやめていたが、震災の風化を防ごうと、6年ぶりに復活。白いカーネーション1千本を用意した。
店舗の約8割が全半壊した西宮中央商店街の「震災祈念時計」(同市田中町)では、生きることの意味を考える「『生きろ』の森プロジェクト」で、市民らが「生きろ」と書いた紙約1300枚を笹につるした。
母の百合子さん=当時(47)=を亡くした主婦、本宮由美子さん(37)は3人の子供に百合子さんや震災の記憶を教えていくことを決めている。「つらい体験をした私たちの役割は語り継ぐこと。子供たちにしっかり伝えたい」。
校長と児童2人が犠牲になった同市平木町の市立平木小学校。同校3年のときに被災し、母校の図工教諭になった広瀬智恵さん(25)が、自らの震災体験を描いた手作りの紙芝居を制作。テレビを通じて全校児童約350人に語りかけ、助け合いと連帯の大切さを訴えた。
紙芝居は同市内の自宅アパートで被災し、避難所の同小学校で同級生の安否を確認したり、ボランティアの男性に作ってもらったカップラーメンを友人たちですする様子などを素朴なタッチで描いた15枚。広瀬さんは当時の状況を振り返りながら、一枚一枚、心情をこめ、「悲しみや心の傷がいつまでも消えない人がいることを忘れないで」と語りかけた。
一方、児童5人が亡くなった西宮市高木西町の市立高木小学校では、全国からの寄付金などで震災から半年後に設置された「復興の鐘」を5回鳴らして犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。
震災当時、校長を務めていた西宮市松並町の荒巻勲さん(72)は「復興の鐘は未曾有の災害を忘れない生きた教材。子供たちには震災を風化させないように思いを受け継いでいってほしい」と思いをはせた。
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