Jul 27, 2010

webデザイナの操作

10年以上前からWEBに従事する業務に従事していました。 webデザイナーはもちろん、最終的にサイトを管理するためのwebディレクターとして赴任しました。一つ考えることができます。それは10年前と現在では、webデザイナーに補償します。わずか10年前まで、webデザイナーは、型の式でした。しかし、現在では、一般ユーザーの能力も大きく上昇したためと考えられるが、常に変化しているwebの世界。常に新しいことを吸収していく努力が必要だと思います。
インターネットが世界的に浸透し、IT業界で躍進を続けている現代社会において、Web制作の仕事は非常に注目を浴びており、多くの方々が目標とするよう、Web制作といっても業種は様々あり、プログラマーやWebデザイナー、またはコンサルタントなど多岐に渡っており、目標としている方はどのような業種が自分に向いているか、きちんと把握しておきましょう。
 東日本大震災で亡くなった方が土葬(仮埋葬)されている気仙沼市の仮埋葬地で19日、最後まで残っていた3遺体が掘り起こされ、荼毘(だび)に付された。県内で土葬されたすべての犠牲者の火葬が終わった。
 県内では津波犠牲者の火葬が追いつかず、2108体を土葬した。順次火葬(改葬)したが、すべて終えるのに8カ月かかった。気仙沼市では火葬場脇のグラウンドに設けた仮埋葬地に208体を土葬し、この日改葬した3体のうち1体は今も身元が分からない。遺体を新しいひつぎに納めてきた葬祭業者の皆川江莉子さん(29)は「世の中は『復興』にばかり注目するけれど、ここの現実をいつまでも忘れないでほしい」と話した。【丸山博】

11月20日朝刊

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 東日本大震災で支援にあたった自衛隊の「音楽まつり」が18、19の両日、日本武道館(東京都千代田区)で開かれた。被災地から宮城三女高(現仙台三桜高)の卒業生でつくる「宮城三女OG合唱団」がゲスト出演。19日には中高生を含む被災者約1600人も招待され、2日間で約3万人が演奏に聴き入った。
 47回目の今年は1000人が出演。宮城三女OG合唱団の17人は「第九」のメロディーに乗せた「希望の歌」など3曲を披露した。
 仙台市を拠点とする同合唱団は震災後、街頭チャリティーコンサートなどで被災者を支援してきた。団長を務める亘理町の東北福祉大4年、口川響子さん(22)は「まだつらい思いをしている人を元気づけられるよう笑顔で歌った。目頭を押さえている人もいて、思いを共有できたと思う」と話した。
 福島第1原発から30キロ圏内の福島県南相馬市に自宅があり、津波で両親を失った寺島えな子さん(51)は東京都内の公務員宿舎で避難生活を送る。帰宅のめどは立たないが「演奏が心に響いて、涙が止まらなかった。全国から駆けつけ支援してくれた自衛隊の人たちの思いを感じた」と語った。【鈴木泰広】

11月20日朝刊

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 ◇「新居で青春取り戻すの」
 認知症の夫と過ごす終(つい)の住み家の完成を待つ女性がいる。東日本大震災で自宅が津波にのまれた気仙沼市の千葉妙子さん(73)。震災後は仮設住宅に入居し、避難入院した夫の三雄さん(77)と離ればなれになった。「新居に移ったら、夫婦で青春を取り戻すの。一緒に食事して、一緒に風呂に入るのよ」。新しい自宅は年内に市内の高台に建つ予定だ。【平川哲也】
 「お前が自分で小舟をこいで、材木を届けてくれたんだよなあ」
 気仙沼湾の大島を望む病室。妙子さんが見舞うたび、三雄さんは語り出す。08年に認知症と診断されてなお残る、約25年前の記憶。それは民家を建築していた大島へ、浜育ちの妙子さんが櫓(ろ)を取り、資材を運んだことだった。「働き詰めで苦労したから、楽しい記憶が残るんだね」。妙子さんが涙を見せながら笑った。
 妙子さんは父親を戦争で、三雄さんは母親を病気で、それぞれ生後間もなく失った。中学卒業後、妙子さんは農漁業で家族を支えた。心臓を患って入院した母親を泊まり込みで看病した24歳の時、見習い大工の三雄さんに見初められた。三雄さんは出張すると、毎日のように手紙を送ってきた。
 「お前となら、たとえお膳がなくてもやっていける」。夫の言葉に妻は応えた。間もなく独立し、トタンで囲った5坪の家で始めた建築業。現場に木材を削り、道具を運ぶ妙子さんの姿もあった。二人三脚で働き、38歳で自宅を新築した。「お父ちゃんと頑張った証しだ」。2階建ての「母屋造り」で、広い風呂に夫婦で入るのがささやかな楽しみだった。
 5年前から三雄さんの物忘れが激しくなった。そして今年3月11日。強い揺れに自宅の障子は音を立てて破れ、瓦が落ちた。妙子さんは「修理する」と言う三雄さんを右手で制し、左手で風呂敷に家財を包んだ。海鳴りが迫る。飛び乗った車で高台に逃れた時、黒い渦にのみ込まれてゆく自宅を見た。震える三雄さんに妙子さんは笑ってみせた。
 「お父ちゃん、家はさあ、竜宮城の乙姫様にあげようよ」
 避難所で過ごした後、三雄さんは入院。妙子さんは6月に仮設住宅に入った。会うたびに三雄さんは訴えた。「そばにいてくれ」
 たまたま震災前、所有していたアパートを売っていた。それに切り崩した預金を加えて土地を借りた。夫が設計図を描く後ろ姿を思い浮かべつつ、間取りの希望を描き込んだ設計図を自作した。請けた職人に見せると「このまま建てましょう」と言われた。
 妙子さんが暮らす仮設住宅には、夫婦の写真が飾られている。「認知症は、家族に勝る薬はないと言われる病気だけど……私もお父ちゃんがいなくなったら、どうかなってしまうもの」
 新居は平屋建てで、建坪は以前の3分の1ほど。しかし、風呂は広めに作られる予定だ。

11月20日朝刊

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